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今日は五大門跡寺院の一・曼殊院にある茶湯の間について紹介します。自称京都好きの私ですが、まだ醍醐寺や善峰寺といった郊外の寺には訪れたことがなく、曼殊院もかなり不便な立地であるためまだ訪れてはいません。多分今一番行きたい京都の寺でしょう。ここには遠州作庭の庭園及び遠州好みの茶室・八窓軒があるところで、さらに小書院は数奇屋建築の代表作に挙げられます。今回はそれらではなく、小書院にある二畳の部屋で、茶室として使える茶湯の間を紹介します。

二畳というと侘び茶の草庵茶室を思い浮かべてしまいますが、この茶室は完全に書院風なのに大変狭いという、ベースを外した風変わりな茶室です。わざわざ大広間であるのににじり口を設けている茶室があるように、茶室や茶道には不意を突くような意外性が時折必要なのです。言ってしまえば、畳の数だけを侘び茶室に合わせたのがこの茶室なのです。

まず釜の位置に注目すると、畳の真ん中に不自然に切ってあります。侘び茶室であれば台目にして壁と接するように作るでしょうが、ここは書院なので半畳という芸当は難しく、結果一畳台目にはしなかったのです。道庫、茶道口、板床に囲まれている場所が亭主の座る位置です。

板床というのは本来畳のある場所に板を敷いて床の間にしたもので、この茶室の板床は一段高くなっています。掛け軸は壁に直接かけるので壁床と呼ばれ、室町時代はこのように床の間をつくらず、壁に接してそのまま軸をかけてしまうのが普通でした。

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西本願寺が所蔵し、中世の暮らしを知るのに大変有効な史料『慕帰絵』にも壁床飾りがでてきます。この当時は畳は敷き詰められておらず、人が座る一部の場所にのみ敷かれていました。それが誰の発案かわかりませんが、いつの間に部屋中に敷き詰めるようになり、現在の畳文化が成立しました。壁床は写真の一番上にあり、途中で切れていますが、真ん中にどなたか和歌の達人のような人物画があり、左右には竹の絵が描かれています。


私はこの茶室に何か遠州的なものを感じるのですが、それはおそらくこの茶室の意匠があの「密庵」と少し似ているからでしょう。何やら密庵床を思わせるような板床、道庫や茶道口ふすまに描かれた文人画風の絵画はまさに密庵と同じ雰囲気を持っています。おそらく遠州は八窓軒や、茶湯の間のある小書院の建設にけっこう関与していたのだろうと、考察していて思いました。小書院・八窓軒が作られたのは遠州没後十年近くが経った明暦二(1656)年ですが、それでも遠州はぎりぎり設計に口を出せたかもしれない、と淡い期待を持っていますが、実際は遠州好みに忠実な方が設計を担当したのでしょう。

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小書院外観。桧皮葺の、やはり数奇屋を思わせるなだらかな屋根で、こざっぱりしています。その前にはサツキを配した庭園が広がっています。

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こちらは数奇屋の代表格として有名な黄昏の間。左には高名な「曼殊院棚」があります。私には蜘蛛が這っているようなおどろおどろしい棚にしか見えませんが、数奇屋というのはたまにこのような怪物を生み出すのかもしれません。やはり桂棚のほうがずっと綺麗です。

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小書院の平面図。こう見るとよくわかりますが、広間が主体の書院にあって、なぜかぽつんと二畳の謎の部屋があるような感じです。しかも縁側には面していないので、おそらく下座を障子にして採光するのでしょう。しかしそれでも相当暗いと思います。

私はまさか小間の書院茶室があるとは思っていなかったので、完全にこの茶室には不意を突かれました。それに遠州本人が作ったんじゃないかというくらい完成度の高い遠州好みを実現しているのも素晴らしいです。曼殊院、ますます行きたくなりました。ついでにあの”スパイダー”曼殊院棚も拝もうと思います。