300





















鶴ヶ城天守閣

みちのく旅の続きでございます。一日目は仙台に泊まり、二日目は会津へ。着いて早速鶴ヶ城へ向かいましたが、白銀の雪に覆われた鶴ヶ城の美しさは想像以上のものでした。最近葺き替えられた赤瓦がよく映え、五層の天守閣の堂々とそびえ立つ様は深い感動を見る人に与えてくれますが、雪の時期は尚の事でしょう。冬は大変でしょうが、このような美しい城を持っている会津若松の人たちが羨ましくなってしまいました。


305











天守閣から見た麟閣

さっそく天守閣最上階へ登って景色を見ると、かの茶室・麟閣らしきものが城の隅にありました。すざまじく積もった大雪のせいでよくその全貌が見えませんが、確かに茶室の趣があります。



353




















裏千家家元の扁額がかかった表門

その場所へ向かってみると、やはり麟閣でした。瀟酒な表門が出迎えです。扁額には裏千家の家元筆のものがかかっていますが、他にも表千家・武者小路千家の家元が書いた扁額が飾られています。



046












パンフレットより、麟閣平面図

麟閣は三畳台目・相伴席付の小間と六畳の広間から成っています。作ったのは千利休の養子にて千家二代目の少庵。蒲生氏郷が城主だった時代に彼のために作られたであろう茶室です。茶室の意匠は侘びた利休好みのものですが、構成や志向性には少庵らしい開放感があります。利休との最も大きな違いは相伴席を設け、貴賎の差をはっきりさせたことです。客が武将であると、お連れの家来の座る場所に難儀したこともあり、その解決策として取り入れられました。そしてもう一つは草庵の隣の広間です。この鎖の間と呼ばれる空間は堅苦しい草庵とは違い、気楽に饗応を楽しむことのできる場になっており、大変開放的な造りになっています。

実はこの麟閣、古田織部が建て、藪之内家に現在ある茶室・燕庵に酷似しています。織部が燕庵を建てたのはおそらく関ヶ原の戦い後であり、織部と少庵に交流があったことを考えると、燕庵はこの少庵の麟閣に影響を受けて考案されたのだろうと思われます。また、鎖の間というアイデアも織部は大々的に取り入れて、やがて草庵・鎖の間・広間という順序による饗応システムを完成させました。こう考えると織部は少庵から並々ならぬ影響を受けていただろうと思われるのです。しかしこの二人の間の書状を探してみたのですが、残念ながら見つかりませんでしたのでこの説は微妙でしょう。一方意外なことに少庵は織田有楽斎と相当親しくしていたようでたくさん書状がありました。


044



















燕庵の平面図

こちらが燕庵です。三畳台目に相伴席付という点は同じですが、点前座の位置が麟閣よりも左にあり、それによって炉の位置も変わっているという違いがあります。また、窓も位置は違いますが同じ程度の数であり、天井も両方とも蒲天井に相伴席のみ化粧屋根裏になっています。



315
























寄付

それでは苑内を見ていきましょう。まずは小さな寄付がありますが、雪で大分埋まっています。露地も全くわからない状態です。雪国で茶道をやるのって大変(笑)。しかし会津という土地は蒲生氏郷・加藤嘉明・保科正之という茶人大名が次々と赴任し、特に保科は石州流を大成し、大茶人と言われた人であり、会津に茶の湯を普及させるのに活躍しました。


317

























中門

雪の中門。おそらく屋根は檜皮かこけら葺きかと思われますが全く見ることができません。露地の門というのも大変魅力があり、編笠門・梅見門など、名物といって良いような特徴的なものもあります。簡素な造りなので当然丈夫ではなく、雪が積もったら倒れれそういそうです。



318
























腰掛

意匠の無いシンプルな腰掛です。さすがにもう少し工夫すべき余地があったかと思われます。燕庵の腰掛はよくできた傑作で、貴賎の差をつけるために君主と臣下それぞれ別に席を設けていました。燕庵と同じく相伴席のあるこの麟閣の腰掛もそのようにしたら面白いのではと思ってしまいます。


323
























蒲鶴亭

広間にて鎖の間である蒲鶴亭です。炉の上部にはちゃんと釜を鎖で吊るすための鉤がついています。こちら側から客は内部へ入って行きます。六畳の開放感あふれる茶室で、なんとなく後年少庵が京都西芳寺に建てた湘南亭を彷彿とさせます。この鎖の間というのは武家茶の饗応のために織部・遠州が取り入れたものでしたが、どうやら室町時代にもあったようです。その鎖の間再興に先鞭をつけたのはもうしかしたらこの少庵かもしれません。また、左にはゆったりと床・地袋のスペースが取られ、様々な飾りつけが可能です。


325

























蒲鶴亭、行の天井

板に竹竿の天井です。天井にわざわざ竹竿を仕込むあたりは少庵の侘びへの志向性が見られますが、落とし天井も化粧屋根裏も作らないところはやはり広間らしさがあります。



326































蒲鶴亭・地袋の青磁の取っ手

地袋の取っ手にはなんと青磁が埋め込まれています。これが当時のものかは分かりませんが、前代未聞です。サボテンみたいな絵が描かれていますがこれはなんでしょうね。しかしこの取っ手は異彩を放っていましたのですぐに気づきました。





345

























水屋側から蒲鶴亭

採光できるのは入口と水屋側の二箇所だけですが、どちらも障子なので、閉めたところで相当明るいでしょう。それにこんな風に障子をとっぱらってやってみるのも趣があるのではないでしょうか。


330

























麟閣にじり口

さて、お次は草庵・麟閣です。刀掛けがあり、にじり口があるのは通常ですが、にじり口の上には大きな連子窓がついています。ちょっとこれも草庵としては異例かもしれません。こちらは西向きですのでここからも光をけっこう取り入れられます。


334

























麟閣内部

三畳台目の内部です。窓のおかげで相当明るくなっています。床には円相の掛け軸がかけられており、その右の柱は数少ない当初の古材で、少庵が自ら削ったものと言われています。印象としては燕庵によく似ていますが、台目の点前座の位置が真ん中寄りにあるせいかさほどの奥行きは感じません。


335














麟閣点前座

上部だけ曲った中柱に大変なセンスを感じる点前座です。ここからだと釣棚がないように見えますが、壁の裏にちゃんとあります。



336















点前座の反古

点前座の壁にのみ反古が使われています。反古は有楽斎の茶室・如庵や表千家反古張り席に使われていますが、その意味するところというのはなんでしょうか。麟閣の場合は亭主のへりくだりを示すものとしてここにのみ貼られているのかもしれません。



324

























相伴席から見た麟閣

にじり口から入った客はこの給仕口から隣の鎖の間へと移動します。燕庵の場合は相伴席のみ畳が格子模様になっていましたが、こちらは相伴席も普通の畳です。



337


























麟閣の天井

天井は蒲を中心に、にじり口側と相伴席が化粧屋根裏になっています。こうして見るとなんだか点前座の位置が中途半端な印象がするようなしないような。やはり燕庵三畳台目のほうがしっくり来ます。




339


























連子窓から見る内部

南向きに設けられた連子窓。これのおかげで日中どの時間帯でも茶室内部は明るいです。それにしても利休の息子とは思えないほど明るさを好んだ人だったのだなぁとびっくり。



343

























点前座の窓

東向きに建てられた点前座の窓。南向きにもう一つ窓があるので相当明るい点前座です。





340

























表千家家元による麟閣の扁額

裏千家家元の扁額は表門に堂々と掲げられていましたが、表千家家元の扁額は気づかれにくいような場所にあります。しかも雪なのでなおさらではあります。もうひとつの武者小路千家家元の扁額は不肖ながら撮り忘れてしまいました。裏門に掲げられているそうです。


347

























麟閣を譲り受けていた森川家ゆかりの牡丹

会津の商家で、わざわざ私費でもって麟閣を移築保存していた森川家の牡丹もこのように深雪に埋まってしまっています。しかし藁囲いのおかげでなんとか生き延びているようです。



349














雪に埋もれた麟閣

数奇屋跡など、他にも見所のあるはずの麟閣ですが、雪のせいで全く他の物は分かりませんでした。たぶん数奇屋というのは麟閣(草庵)・蒲鶴亭(鎖の間)に続いて広間で饗応を行うための場所としてあったのでしょう。



355















会津の至宝・麟閣はいかがでしたでしょうか。この後市内を周遊するバスに乗ったら車内放送で麟閣と少庵のことが紹介されていて、なんだか少庵に親近感が湧きましたし、地元の人たちにも少庵の名は知られているでしょう。この深雪の地にあって茶道にとって重要な事件である少庵の会津蟄居の史実を示す重要な茶室が今も現存することは大変意義深いことです。また、織部・遠州へとつながる武家茶室の構成・意匠の原点のようなものがこの茶室には見られることもあって、その価値の高さは尚の事でしょう。皆様是非ともこの素晴らしき茶室と美しい風土を体感しに会津へと一度お越し下さい。