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金沢旅一日目の後編です。

成巽閣を訪れたあとは、兼六園の北側の斜面に敷地を持つ西田家庭園・玉泉園へ。

この庭園を作った脇田氏の初代・直賢は朝鮮の生まれで、元の名を金如鉄と言いました。朝鮮出兵によって孤児となったのを武将・宇喜多秀家が日本へ連れて帰り育てられたそうです。関ヶ原の戦いで宇喜多は八丈島に流されますが、直賢は宇喜多秀家の室・豪姫(前田利家の四女)とともに彼女の実家である金沢に行き前田利長夫人に養育されます。成長した直賢は前田家の家臣脇田家の娘を娶り、大坂の陣で武功をあげ、その後1660年まで生きたそうです。

庭園は直賢の後、四代目まで作庭が続き、その間二代目直能は金沢に来ていた裏千家の千宗室(四代目)の指導を受け、庭園の作庭の協力も得ました。脇田家は明治維新後にこの土地を売り払って他所へ行き、その後西田家が購入し、現在は財団法人による運営となっています。

茶道を嗜んでいた脇田家にふさわしく、落ち着いた風情のある渋い庭園です。私が訪れた時は大荒れの天候が数日にわたって続いていたため、園内はけっこう荒れていました。また庭園のある斜面が北面しており、西日がかなりきつかったせいであまりよく庭園を見ることができなかったのはちょっと残念でした。

庭園は西庭・本庭・東庭・崖上の灑雪亭庭園の四つからなっており、「玉澗流庭園」という珍しい様式の庭園とされています。玉澗流庭園の特色としては ①築山を二つ設けてある ②築山の間に滝を組んである ③滝の上部に石橋(通天橋)を組んである ④石橋の上部は洞窟式になっている、という特徴があるらしいです。

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入口から入って最初に通るのが西庭。雨上がりのもやぁとした空気の中を踏みしめていきます。なにげに織部灯籠もありました。

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基壇を地中に埋め込んだ様式の織部灯籠。下からこっそり見えている仏様のようなものは実は聖母マリア。これは隠れキリシタン灯籠なのです。加賀藩に客将としてマニラ追放まで招かれていたキリシタン大名・高山右近の影響で、脇田直賢はキリシタンであったと言われています。この灯籠は初代の直賢の見立てであることから、400年近く前のものであることが分かります。






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本庭です。池を周遊しながら鑑賞することができます。見てのとおり大嵐のせいでだいぶ木の葉が散っています。地面もけっこうぬかるんでいるので足元に注意しながらの散策です。



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本庭から灑雪亭庭園へと続く崖にはこんなふうに小川が。実はこれ、兼六園から引いてきた辰巳用水なのです。藩主の前田家から許可を得て水を引いたといいますから、脇田家は前田家からも一目置かれていたのでしょう。






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灑雪亭庭園です。こちらにも池があります。敷地は百万石とおりと接しており、その向かいには兼六園があります。千宗室の指示を仰いだだけあって落ち着いた茶庭の雰囲気があります。




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灑雪亭の小間です。隣室には広間もあります。

「灑雪亭」の名は金沢にも招かれた儒学者・木下順庵によるもの。脇田家二代目の直能のときの茶室であり、金沢の茶室の中では最も古いとされています。金沢茶室に見られるように庇を大きくとり、内露地をつけている他に、貴人口とにじり口が並んでいる、という変わった入口を持っています。たいていはにじり口か貴人口かどっちかしか付けないのですが、随分欲張ったものです。




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茶室内部。広さは「一畳二台目」です。台目が二つもあるというやはり風変わりな茶室です。そのせいか炉の切り方もかなり面白いことになています。床の間はこれも金沢茶室の典型で、平たい板張りのものとなっています。





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灑雪亭庭園の紅葉。ドウダンツツジの色合いがとってもきれいでした。






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再び本庭に戻り、茶室の裏千家・寒雲亭写しの茶室です。

裏千家により茶の心が広まった金沢だけあって、お茶室はどこも裏千家絡みです。この裏千家の茶室の写しがいつできたのかはわかりませんが、多分千宗室と交流のあった脇田家の時代なのでしょう。



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こちらが寒雲亭内部。本家にそっくりで、狩野探幽の描いた襖絵も再現されています。

茶室の写しを家元から許されるということは、なかなか難しいことであるので、こうして裏千家の写しが残っているのは茶の湯の盛んな金沢らしいことだと思います。



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茶室前の蹲。越前松平家伝来の手水鉢です。よくみると、桐紋が刻印されているのがわかるかと思います。






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西田家を離れ、兼六園西側から金沢城へと入ります。

まずはこの金沢城の顔たる石川門。貴重な当時の遺構であり、天守が焼けて以降はここが天守の代わりともなりました。城としては珍しく白の瓦を用いた清廉潔白なこの建物は他の城よりも特に美しく見えます。雪が降った日にはなおさらでしょうね。








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最近再建された三の丸。金沢の新しい顔とも言える重厚な建物です。その左では更に新たな建物の再建が進んでおり、また来た時にはさらに建物が増えているのでしょう。






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石川門と並ぶ当時の遺構の鶴丸倉庫。白漆喰の重厚な武器庫です。




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石川門の石組。石を運んできた時につけられた傷が今もみることができます。卍や田、バッテンなど、見ていても面白いです。



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金沢城を特徴づける白瓦。鉛からできており、有事の際には鉄砲の材にするためとも言われています。前田家の家紋・梅紋もしっかり刻印されています。



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石川門付近の紅葉。城と兼六園を結ぶ橋の上から撮りました。この二つは本当に目と鼻の先です。






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兼六園のそばにある金沢神社。前田家の先祖である菅原道真公を祀っています。藩校である明倫堂を兼六園内に建てることになった時に一緒に創建されました。






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金沢神社のそばにあると金城霊沢。金沢の由来となった井戸です。今は殿舎が設けられ、注連縄の張られた神聖な雰囲気に包まれています。



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兼六園のすぐ南にある石川県立美術館。まだ新しい感じの残る綺麗な美術館です。今回は特別展で前田家の収集した裂地が特集されていました。徳川に屈服することになった前田家は数寄でもって少しでも優ってやろうと、裂地などの文物を競って集めていました。そのほとんどは「名物裂」と呼ばれる中国伝来の大変貴重な裂地であり、思わず目を見張ってしまいました。私が見られて一番嬉しかったのは「伊予簾緞子」でした。





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金沢に来たら見なくちゃいけないもの、それがこの国宝の雉の香炉です。

江戸時代の陶工・野々村仁清の最高傑作と言われています。仁清作品でも異色なほど緊張感に貫かれており、威圧的で誇り高い雄雉の表情は荘厳さすらあります。絵付けの妙も他を圧倒しており、その細やかさには目を奪われます。尻尾をピンと張り首をしなやかに曲げた雌雉の香炉のほうは重要文化財で、このふたつは当然ですが対として作られました。

このような大作を発注したのが茶の湯に長じた前田家の三代目・利常であると言われています。いかにも大藩の君主の持ち物にふさわしい壮麗な美術作品と言えるでしょう。前田家の手を離れたあとも金沢の個人の手にあり、戦後県立美術館に寄贈されました。






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全行程を終えたあとは金沢駅まで歩いて帰ります。途中では金沢の台所、近江市場にもふらり寄ってきました。越前ガニなど日本海の幸がてんこ盛り。こんなに身近に求めることのできる金沢の人たちがとっても羨ましいです。風土ですね〜。



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一日目の締めは金沢駅の鼓門。金沢の新たな顔です。こういった建物を作るとたいていは俗悪なものになりがちですが、私はこの金沢の新たな門をとっても気に入りました。そこには北陸の大都市としての気概や誇りが込められているように感じられるからです。この木造の伝統にも配慮した美しい建築は他の金沢の建物同様これからも愛されていくでしょう。

次回は二日目前編・東山ひがし、主計町茶屋街をお送りします。