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本日は久々に禅僧の墨跡を紹介します。

今日は出光美術館蔵、無準師範書の額字「選仏場」です。まずこの墨跡は範疇としては「額字」といいまして、元々は道場に掛けられるための額であったのが茶席の掛物に転用されたものです。なので墨跡でも位の高い「法語」などと比べると大分風変りな類といってよいでしょう。しかも書かれている文字の数がたったの三つ。とにかく少ないです(少なさでいえば究極の墨跡には「円窓」がありますが)。しかし緊張感のある、実に堂々とした字です。道場に飾るにはもってこいな風格があります。

この墨跡は中国・南宋時代の高名な僧・無準師範が書いたもの。弟子の円爾弁円(えんにべんねん、駿河の人)が帰朝した後に寺を開くということで、そのお堂に掛ける額としてこれを贈りました。そのお寺というのが、日本で最初の禅寺である博多の承天寺です。この墨跡は承天寺から弁円が開いた京都の東福寺に伝来し、おそらく明治期の困窮期に流出して、それを出光佐三が入手したと思われます。

墨跡の紙面にはよくみるとハンコのようなものが押されています。これは円爾弁円が京都にいるときに住んだ普門院という寺の文字が書かれた長方形の印であります。全部で三つ押されています。


墨跡というのは前にも申しましたが、巧拙で語れるものではなく、それを書いた坊さんの人柄がにじみ出る点が良いのです。だから「ヘタウマ」というのが墨跡のもっともよい塩梅の位置なのでしょう。この「選仏場」の墨跡も実に背筋を伸ばしたくなるような、堂々とした字であります。いかにも禅僧の書いた、厳しさを漂わせる字です。





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ちなみに私はこの墨跡に大変親しみがあります。なぜなら私が良く行く鎌倉の円覚寺には同名の伽藍があるからです。しかもそこにかけられている額はまさに無準師範の書いた当の墨跡を真似たものであります。私もこのことに最近ようやく気づきました。ちなみに写真は先月の大雪の次の日に行った時のもの。






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こちらが墨跡を書いた無準師範。この画像は弁円が開山となった東福寺に伝来するもので国宝に指定されています。この画像からはよく無準師範の人柄がにじみでているように思われます。大変状態も良く、禅僧を描いた作品の中では白眉ではないかと思います。





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こちらはちょっと見にくいですが、中世の禅僧の系図です(画像を押して拡大してみてください)。左頁の上のほうに無準師範の名があります。

私は書き込みでこの無準師範から始まる派閥のことを「在朝」派と書いています。無準師範の弟子たちは多く朝廷などと結託して、現在の「京都五山」と呼ばれる寺院などを打ち立てました。京都五山とは、別格の南禅寺と天竜寺、相国寺、東福寺、万寿寺(現在は東福寺塔頭)、建仁寺の六つのお寺のことであります。

一方であの「破れ虚堂」で有名な虚堂智愚に始まる一派を「在野」派と名付けています。虚堂の系統は大徳寺や妙心寺など、朝廷との関わりを絶って独自の道を歩みました。こちらの系統からは一休宗純や古渓宗陳、白隠などの有名な僧が出ていますし、こちらが茶道にとっては大事と言えます。

そしてこの両者を束ねて一番上にいるのがあの圜悟克勤。彼の書いた「流れ圜悟」の墨跡は最古の墨跡です。このように墨跡には二つの派閥がありまして、だれが書いたかを調べるとき、その時「在朝」か「在野」かを意識しておくことはけっこう大切かもしれません。


今回はちょっと風変わりな墨跡を紹介しました。今回のように墨跡としては亜流なものもけっこうあったりします。「印可状」や「法語」は墨跡の世界では最も尊ばれますが、ほかにもたくさん墨跡はあります。今後も幅広く墨跡の世界について紹介できればと思います。