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「古田織部の茶」、第四回は「懐石」について触れます。

古田織部という人は実に様々な革新を茶道界に吹き込みました。なかでもあまり知られていないながら大変今日への影響が大きいのが懐石。織部の前の時代までは焼き物で懐石道具が作られることはありませんでした。塗り物の道具が主体だったのです。織部の師・千利休においても利休好みの塗り物が今に伝わっています。しかし織部にとってはちょっとこの塗り物の懐石道具は物足りなかったのかもしれません。彼は指導している美濃焼の窯に懐石道具を作らせるという試みに出て、これが吉と出たようで織部焼の懐石道具は大流行しました。京都の江戸時代の屋敷の跡からはけっこうこの織部焼の茶碗や懐石道具がけっこう発掘されています。織部が懐石に焼き物を持ち込んだというこの出来事は実に茶道においては大事件でした。

織部焼の懐石はそのほとんどがいかにも織部焼らしい緑釉が垂らされ、装飾豊かな絵付けがされています。この緑色こそ、盛り付けられた食べ物の旨さ、美しさを引き立ててくれる妙薬です。朱塗りや漆塗りの懐石道具に味気無さを感じる人たちもいたでしょうから、この織部焼の装飾性は実に食の席を華やかに飾りたててくれます。

ちなみにですが、織部焼の懐石道具には黒釉を使用したものは未だ見たことがありません。黒釉の織部、黒織部はほとんどが茶碗に見られます。その代り織部焼の茶碗では緑釉は(古いものだと)使いません。これは織部焼の中で不文律の鉄則みたいなのがあるようです。しかしちょっと考えればわかりますが、懐石料理で黒織部なんてのがあったら、あんまり食欲をそそりそうにありません。逆に緑釉のある織部茶碗においても、せっかくの抹茶の青が緑釉と相殺されてしまうので、これはあんまりよろしうありません。

今回紹介するお道具は、京都の北村美術館蔵、松皮菱形手鉢です。こちらのお道具は織部焼でも取り立てて評価が高く、国の重要文化財に指定されています。菱の形をした大胆な造形、そして半円を描く取っ手部分、非常に見事な出来栄えをしています。そして必殺の緑釉がとっても映えます。実にムラがあるこの緑釉ですが、逆にそれが見どころを提供しており味があります。そしてこの緑釉に対するのが、赤地部分。こんな風に地の部分の赤い織部焼は「鳴海織部」と呼ばれています。赤地の部分に描かれた文様は実に多様であり、瀟洒な雰囲気を湛えています。

「手鉢」といえば、唐物もけっこう人気があって、古染付や赤絵の美しいものが好まれます。しかしこの織部焼の手鉢についてはまた別格な気がします。これで魚を盛って出せばどんなに不味くとも美味しくなってしまうようにさえ思われます。実に不思議な器です。この織部焼の懐石道具が誕生した背景には、当時の武家式饗応の完成が急がれていたという事情があったのではと思われます。茶道においては大名を接待する手段として饗応の占める重要性が大変高まってきていました。それに応えるべく、織部は「小間→鎖の間→広間」というもてなしの方式を打ち立てていました。最初にお茶をいただいてもらい、それから打ち解けた雰囲気で饗応を楽しんでもらおうという趣旨です。一方では饗応におけるお道具の趣向についても武家好みに変える必要があると感じたのでしょう。従来の利休好みの塗り物から自分が指導している織部焼の器へと変革を図ったのかもしれません。


次回は「5、裁断の美~井戸茶碗「十文字」」をお送りします。