178



















「古田織部の茶」、第七回の今回は真打登場、古伊賀の水指「破れ袋」をお送りします。

古田織部という人は実に変人だったのではないか、彼の所持したお道具を見るといつもそう思ってしまいます。ひしゃげしていたり、曲がっていたり、割れていたり、全くどういう趣味だったのかと思ってしまいます。そのあまりにも強烈な印象に対して、私はまがい物めいた嫌悪感すら抱くこともあります。しかしもし織部好みの茶道具がそうした現代の「キッチュ」と同等だったのなら、それらが今でも評価されることはなかったはずです。彼の好みの中には茶人に理解される普遍的な価値観が備わっていたでしょう。その価値ってなんなのだろう、とやはり思ってしまいます。

そこで考えていきたいのが、今回紹介する古伊賀焼で最も有名な「破れ袋」なる茶道具についてです。破れ袋とは、五島美術館が所持し、今や茶道具の名品にまっさきに挙げられる存在となった水指です。しかも、この茶道具にはかつて織部筆の書状が沿っていたということでさらに価値がついています。

織部は大変気に入っていたことが書状からも明らかなこの水指、しかし常人には受け入れがたいようなものがあったでしょう。その理由としては、①ひび、②付着物、③異形な形状、が主にあげられると思います。まず下部に深く入った亀裂、水漏れはしないようですが、それでもこんな傷物を茶会に使うのは躊躇されるでしょう。似た事例として、千利休という人は、正面に割れ目の入った竹花入をわざと用いています。ただ、破れ袋の割れ目はちょっと度を越えて大きすぎています。また、窯中で生じた小さな付着物がとにかく多いことも、忌避されるべき要素になっています。古伊賀にはこのように付着物がついていることが少なからずあります。最後に、「破れ袋」の銘の由来ともなった奇妙な形状。下部に大きなふくらみを持った、古伊賀以外には見られない異形であります。ここまで評価を落とすような要素があるにも関わらず愛でられ続けている破れ袋、ではそこにある価値とは何なのでしょうか。

それを知るのには、古伊賀の誕生の経緯を語るのがよろしいかと思います。実は古伊賀というのは長い間日常雑器として使われており、千利休の時代まではずっと茶道具として使われることは考えられませんでした。そこに変化が生じたのは、古伊賀の兄弟分に当たる信楽焼が茶人から大きく好まれ出したこと、そして前述の筒井定次の伊賀転封がきっかけでした。筒井は茶人でもあったので、領地にある伊賀焼を茶道具のための焼き物へと変えるべく奔走、その結果古伊賀は茶人好みの、「侘びた」風情を持った焼き物へと変化しました。侘び茶人たちは古伊賀の雑器風情の残るざらついた肌を愛で、その備前焼にも似た形状を大いに好みました。

しかし一方では偶然の産物で、大変面白い色合いや形状の歪みを醸し出すものがあったのです。これらの茶道具は実際のところ、陶工の意にはそぐわないものであり、典型的な侘び茶人にはうけるかどうかといった感じでありました。そういった古伊賀の代表格こそが「破れ袋」であるのですが、これらには割れ目や付着物といった欠点のあるのが常でした。陶工にとっては失敗作とみなされても仕方ないほどの欠陥をかかえてしまっているのです。しかしこのゆがんだり、ヒビの入った失敗作を織部を筆頭とした、千利休の侘びとはちょっと違った好みをもつ茶人たちが大胆にも茶道具として取り入れました。前時代の千利休の好みとは違った、大変刺激的で挑戦的ともいえる茶道具が好まれ出したのでした。

結局何が言いたかったのかというと、この破れ袋には前時代、千利休の好みとは違う新たな着眼点を見出すことができた、ということです。千利休の真似事に過ぎない侘茶ではなく、その範疇から抜け出したような、そんな価値観を持った茶道具だと私は思います。最初の問い、茶人が好むような普遍的な価値観ってなんだろう、という話に戻りますと、価値観はやはり時代によって大きく変わるでしょう。その中で変わらぬ土台があるとしたら、それは茶の湯の根幹である「数寄」であり、「侘び」であり、といったところでしょう。茶道には茶室があり、抹茶があり、点前がある。こういった要素がある限り、その感性というのは変わらないものだろう、と思いますし、だからこそその部分を大切にすべきだし、茶道を「キッチュ」にしてはいけないのだと思います。

次回は「8、茶室の完成形 ~藪之内流燕庵」をお送りします。