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山田芳裕の茶道漫画『へうげもの』の19巻が出ました。

内容的にはハッタリっぽい描写が多すぎてあまり面白いとは言えませんでした。まぁこれから大坂の陣が始まるので最終回に向けての盛り上がりに期待したいと思います。

本巻は1611年~12年という徳川幕府の締めつけと江戸対大坂の対立でだんだんきな臭くなっていく時代に当たっています。古田織部は徳川秀忠の茶道指南役となってより名実ともに茶道の第一人者となるわけですが、本巻を見ていても千利休が豊臣政権で活躍していた時のような大胆さが彼にはなく、むしろ豊臣と徳川の間で両方にいい顔をしようとしてちまちまやっているのでどうしても全体的に面白くないのです。昔の織部だったらあがきもがく様がとっても魅力的でそれこそがまさに彼の創造の原動力として見えたわけですが、徳川幕府以後の織部はあまりにも泰然としすぎて魅力が半減してしまったみたいです。なんか『ワンピース』のルフィが頂上戦争の後の修行であまりに強くなりすぎてしまって、アラバスタ編やエース救出の件のような大きな壁に挑ってそれを破るあの爽快感がなくなったのと似ています。




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漫画評は置いておいて、作品中に出てきた茶道具を紹介します。

まずは俵屋の宗達若旦那が織部からおくられたこちらの黒織部。早蕨のような絵付けが実にのんきです。



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実物はこちら。個人蔵です。白釉と黒釉を流し分けるという織部焼の特徴を持っています。胴締の筋が通っており、口の部分が緩やかに上下しているのも織部らしいです。






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妻おせんの出す料理にも織部。この手鉢は作中では沖縄のあだん籠が発想の元だと言っていましたが、私は唐物の籠か琉球よりもっと南方の南蛮物に着想を得たのではと思います。いずれにせよ懐石道具にこのような取っ手をつけたというのは斬新極まりないものですし、そもそも懐石道具は塗り物が利休時代まで主流だったのでそれをひっくり返した緑釉織部は偉大です。

こちらの手鉢では絵付では珍しく七宝が描かれています。唐津焼に影響されたと思われる抽象的でのびのびした絵が特徴的な織部ではなかなか見ないです。





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東京国立博物館所蔵の高名な総織部の香炉です。総織部というのは緑釉がほぼ全体に塗られた織部焼のこと。数は少ないですが見た目が強烈です。そしてこの香炉、茶道具にしては異例なことに銘が彫られており、慶長拾七年、つまり1612年に名古屋の熱田神宮に奉納されたことがそこから分かります。写真の後方は見られませんが、製作者の銘も彫られており、『へうげもの』によれば加藤景延の弟だそうです。

織部焼の香炉は一風変わったものが多く、唐人香炉などは他じゃできないような異質さがあります。今回の香炉もまたちょっと間抜けな獅子がちょこんと乗っかっていて、こやつの鼻からモクモクと香の煙が上がってくるのを見たら吹き出してしまいそうです。


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私はこの香炉を見てちょっとかの根津美術館所蔵の黄瀬戸香炉を思い出しました。この香炉は千利休が旧蔵していたもので、狛犬だったのを頭の部分を割って無理やり香炉にしてしまったというものです。利休はとにかく黄瀬戸が大好きだったのは同じく彼の持っていた「大脇差」や花入(和泉市久保惣記念美術館蔵)からもわかりますが、この濁った黄色の色合いってなんか私は落ち着くし、あまり箔がないところが好感が持てます。この香炉なんかも敷居の高くない感じがして、しかもなんか間抜けな顔がかわいらしいです。織部も黄瀬戸も同じ美濃焼なので似ているのはそれはそうですね。





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(同背面)

織部が諸将の前で披露した伊賀花入れです。「聖」と呼ばれるもので、ちょっと変わった形を持っています。私は唐物写しだろうと思います。見る方向によって印象が全く異なるのが面白いところでこれは窯中で生じたものでしょう。









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謎の茶道具作家、新兵衛の備前茶入「さび助」。新兵衛は伊賀焼、信楽焼など様々な窯で作品を残している異色の人です。作中では織部焼の販売を請け負っている商人で、素人手ながら各地で自ら作陶もしています。

こちらについては鶴田翁が詳しく知っているので画像とともにご参照を。
http://turuta.jp/story/archives/20771







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ついに伊賀花入「生爪」、陥落しました。あまりのしつこい求婚に耐えかねて愛娘を譲ってしまう織部の心情は作中では吐露されてませんでしたが「生爪剥がされる思い」だったようです。



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ここからは人物。前巻にも登場した片桐且元がさらに存在感を増しています。甥っ子には小堀遠州の死後の茶道界を牽引した片桐石州がいますが、彼はまだこの時十歳ちょっとでした。



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大阪方の中心閣僚で淀君と密通の噂ばかりが今も一人歩きする大野治長。古田織部の弟子でけっこうな数寄心があったようです。これからの彼の動向には注目です。





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隠居後に朝鮮から連れ帰った陶工を利用して新しい焼き物を作ろうと苦心する島津義弘。ただ発想がないとやはり唐物写しばかりができてしまいます。そこで織部は「甲」の唐物ではなく、それを崩した「乙」の茶入を作らせようと切型をおくらせようとします。しかしこのあと織部は切腹するので彼の目論見は未完に終わってしまいます。



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その織部の意思を継いだのが小堀遠州。彼は遠州七窯のような自分好みの茶道具を作らせるべく各地の窯で指導をしていました。薩摩焼でもまた肩衝のような「甲」ではない「乙」の茶入が出現しました。いわゆる甫十茶入というやつです。なんともかわいらしい瓢箪のなり、七宝の文様、そして真ん中の無釉の部分など、とにかく「乙」です。本巻に出てきた桂離宮の造営もそうですが、織部が未完に終わってしまった数寄の試みは多くが好みこそ変われど小堀遠州に受け継がれているのです。



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小堀遠州の美意識的独立宣言、孤篷庵です。孤篷庵というのは実は最初は大徳寺の国宝茶室・密庵のある龍光院の中にありました。それが後年独立した際に遠州は茶室・忘筌を作り、十四畳の大広間の遠州茶道の極地に至りました。





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(遠州を崇敬する松平不昧が再建した忘筌。板目の霧がかったような天井、下部の切り取られた障子が舟上らしさを醸し出す)

遠州が今回龍光院につくった孤篷庵は出身地近江の琵琶湖に浮かぶ舟のような茶室を心がけたと作中では語られています。間取りは織部の燕庵形式に一畳足しただけのものですが、窓が大きいので従来の茶室からはありえないほどの明るさを持っています。織部は明るすぎると言っていますが、この遠州好みの採光がされた茶室が大名の好みとして後には定着します。この「琵琶湖に浮かぶ舟のような茶室」という発想は今も残る孤篷庵・忘筌茶室でも引き継がれており、こちらは大船から琵琶湖に見立てた茶室を見るという唯一無二の優雅な茶室であります。この遠州茶室の進化の過程を今回取り上げてくれたことは遠州好きの私としては嬉しい限りです。





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最後に、一巻より作者が一貫して主張し続けている美学がこちら。「必死になってもがく人間ほど面白く乙なものである」、ということです。千利休にせよ、石田三成にせよ、もがくことでやっと「乙」の心境にたどりついく様が幾度となく『へうげもの』では描かれています。そして今度は「甲」であった徳川秀忠や俵屋若旦那が自分の欲しいもののために必死にもがいて、しかしお江や織部のような人生の熟練者から見ればその様が全くおかしくて一笑してしまう。そうやって秀忠も宗達も乙になっていくのです。乙の作中における絶え間ない造成、これぞ『へうげもの』の最大の美学です。

まったく私もまだまだもがき続ける「甲」な人間です。まあしかし若いうちから人生に達観して乙になろうとしたら人生の「お味わい」なんてあったものじゃないので、今は自分の青さを楽しみながらやっぱりもがきます。ありがとう、『へうげもの』。