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近頃は梅が各所で満開。ようやく春を告げる花の兄の到来といった感じです。ただ桜の方はというと未だ開かずの状態で花芽は固いまま。もっと温かい南風と嵐が必要なようです。上の写真は早とちりなイーヨさんが桜の花芽を食べようとするところ。けっこう平気で食べていました。


それにしても茶道を習い始めてからというもの、季節の花に強くなって色々と目が行くようになりました。開花しているときしか見なかった桜もそれぞれの季節ごとにどうなっているのか見るようになりました。そして面白きことに、つぼみやそれ以前、花芽の状態の桜もいいなぁ、と思うようにもなったのです。

茶道というのは派手な花や開花した状態の花を嫌います。桜も茶道では、まったく知らない人には意外かもしれませんがまず生けませんし、華美なる牡丹や、香りのする沈丁花も使われません。なぜ桜がダメかというと、枝振りはまぁまぁいいのですが、花をつぼみの状態で生けようとするととっても難しいからなのです。それに見た目もあんまり格好良くないのです。

これと対照的なのが梅の花。非常に枝の伸び方が直線的でなく、そして肌がざらざらしている、これは侘びの美意識とよく通ずるところがあります。そして何より良いのがつぼみです。プクッとしたまあるい紅白のつぼみはとっても上品で、茶席にはこれ以上ないくらいよく合います。

こんな風に茶道で生ける際には出番のない桜。しかし私としては二月になって花芽が徐々にふくらんできて春の息吹を吹き込んでもらうのを待っているかのような風情がなんとも目を細めてしまうのです。春という花の盛りを前にして大地の躍動(spring=①跳躍②春)を待つ桜。自ら身をやつしたようなその姿はわざわざ華の無い茶道具や茶室でもって求道した侘び茶人と重なる部分があります。


この二月という季節は「まだつぼみ」だらけです。山吹も、桃も、ツツジも、ミツマタも、トサミズキも、ユキヤナギも、レンギョウも、みんな春を待っているのです。これから冬の支配は終わりを告げて不安定な嵐の「三月のライオン」がやってきます。それを乗り越えると、まるでこの世は楽園のごとき花の盛りになります。そんな我が世の春を謳歌する前の二月の彼らこそ、面白いなぁ、と茶道をやり始めて気づいたのです。町中でちょっととがった花芽の張った彼らを見るとついついめでたくなる、これも数寄心でしょうかね。花の盛りの前の二月もまた茶人とっては侘びのある良い季節なのです。