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蕎麦に思う人と気質。

蕎麦、という食べ物は江戸時代には明らかに階級と結びついた、庶民の早くて安いものだと思われていましたが、今や日本食の代表格であり、老若男女が口にするようになりました。かつての蕎麦は今の牛丼と変わらぬ位置にいたであろうことが考えられます。実際軽く食べられますし、戸隠のうずら家のようによほど旨い代わりに時間がかかるといった場合を除けばすぐに食べることができます。

そうした蕎麦の食べやすさ、早さ、安価さが特に江戸っ子たちと相性抜群であったことは納得のいくことだろうと思います。江戸っ子の気質は言ってしまえば『男はつらいよ』の車寅次郎、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉のような人情の厚さ、性格の表裏の無さ、単純で直情的な人物像でありましょう。前者は柴又、後者は亀有ですが、江戸というよりももっと矮小な地名単位での地元愛が強いようでありまして、下谷には下谷の、浅草には浅草の江戸っ子がいてだいぶ差異があったはずです。しかし東京が人の集積地、そして国際都市へと変貌すると土着色はだんだん後退していって、氏子のいない氏神様、みたいな現象が東京のいたるところで起こり、そうでなくとも古老的伝承者たちは土地を売って静かな他所へ移ってしまったりして、江戸っ子文化はその担い手を失いつつあります。

よく江戸っ子は「三代住んでいて」というユダヤ教並みとはいかないまでも排他的な文言が勲章のようにされていますが、もはや土着性を失い様々な文化が入り乱れる東京においてはそれは厳しいでしょう。代わりに私が最近思うのは誰でも江戸っ子に「なる」ことができるのでは、ということです。つまり江戸っ子の味に舌を慣らし、浅草観音に足しげくお参りに行ったり、歌舞伎の見栄を切るのに思わずうなったり声を上げてしまったり。何か自然と江戸っ子に近づいてしまったように感じられるのは気のせいだけではないと信じています。

江戸前蕎麦、はまさに江戸っ子の趣向の塊であります。上野薮蕎麦や浅草橋のあさだ、は私の好きな江戸前蕎麦のお店です。お店に入ると迷わず、「せいろで」、と言って、蕎麦が出てきたら真っ黒で濃い麺つゆに半分だけ麺を浸し、豪快にズルッと頂く。こうすることで、何かまじないにかかったかのように細かいことは忘れてわかりやすい人間になって生きてえナァ、と思えてきてしまうんです。味と人、文化と気質には大きな相関性があるのです。(後編に続く)。