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(仏に「品」あり。当尾の里の浄瑠璃寺の阿弥陀堂に坐す九体阿弥陀は九品往生を表す。)


「品」という言葉について考えたことがありますか。


いつもよく使って(浸かって)いる漢字たちはあまり不思議であると思うことがないかと思います。でもよくよく考えるとなんでこんな形をしているんだというものがけっこうあります。子どものころこの漢字に変だなとは思わなかったのかなと思い返してしまいます。近頃だと私は「書く」の「書」が不思議に思えます。「書」の「聿」は「筆」のことをあらわすそうです。思えば「品」の字も口が三つとかなり変わっています。

この「品」という言葉の成り立ちを考えてみましょう。漢字というのは何かを象ることで出来上がっていますね。「品」だと「口」が三つ重なっています。この「口」は「くち」のことではなく何かしらのモノをあらわしているそうです。つまり口が三つあることで物がたくさんあるということです。こちらが「しな」と読む方の「品」です。

ここで品の字を見てほしいのです。上に一つ品があり下に二つ品がありますね。何かしらの物を指す「口」にも上と下があるのです。ここから品という字は物事の上下や優れ劣りを表すことにもなりました。これが「ひん」と読む「品」です。


この「ひん」と読む方の「品」は実は仏教の言葉でもあります。仏教には九品往生という言葉があります。人には九つの位の性があり上品中品下品の三つの位がありそれらに上生中生下生がついて合わせて九つの往生の仕方があると説いたものであります。私もあまり詳しくは知らないのであまり深くは考えません。ただこの言葉はよく我々の使う「上品」や「下品」の由来となっています。けっこう知らず知らずのうちに使っている仏教語が多いところからは我々が仏教といかに近しいかを改めて知らされますね。




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(猫にも「品」。猫文字で「品」の字。岩合光昭氏の「世界猫歩き」から)



では今さっき出てきた上品や下品という言葉についてもうちょっと考えてみたいと思います。我々は常ではあまり考えずにこの「品」という言葉を口にします。ではどういった物を上品とか下品とかあるいは品があるとか無いとか呼んだりするでしょうか。ここは場にふさわしく茶道を例に考えてみましょう。

私の考えであることが少し出過ぎているように思えますが茶道における「品」を一言で言うと「慮り」(おもんばかり)であります。つまり茶の座において亭主が客に慮り客が亭主に慮ることができるかが茶道における「品」の尺なのであります。茶道における二つの立場である主と客が思いやりを掛け合いながら進んでいくのが一つのあるべき形なのです。

そしてここには二つの向きの「品」があります。一つは他の人たちへの心配りのために何かを行う「外向き」の品であります。

水屋仕事のときに黙って立ち尽くしているのではなく自ら仕事をもらいにいくのも「品」。お稽古終わりの時に必ず宗匠に礼をして最後にはきちんとした形で謝礼をお渡しするのも「品」です。お茶をやっている人なら当たり前としてやっていることですね。この時の「品」は「能動(能く動く)」の品とでも呼ぶべきでしょうか。


そしてもう一つの向きの品とは「受け身」の品です。何かというとまずはやはり人に心配りをします。心配りをして人が自分のことを見たときに心地よく感じてもらえるためにはどうすべきかと考えて自らの身だしなみや心の構えを整えることです。

茶道とは恥をかくことの積み重ねです。若い人はおばさんたちに小ばかにされることもしばしば。老いた人は年下の宗匠に怒られてやるせない思いにもなります。そういったときに怒ったり心が沈んでいる姿を見せるというのはやはり見苦しいものでありいわゆる下品に当たります。そうでなくて何気なく振る舞いやり過ごすのが茶道の上品です。

女の方がせっかく美しいのに香水をつけたり髪をきちんとたばねず茶の席に来たら隣の席の男の方はどう思われるでしょうか。品が無い。そうして一座を壊してしまうのは何気ない「下品」なのです。だからこそきちんと茶道の「上品」でもって茶の席に臨んでほしいと思います。


マボタンにお越しの方の中にはこれから茶道を始めたいと考えておられる方も多いかと思います。自らの品を磨くために茶道をやってみたいという志しですね。そうした方々にとって茶道と「品」はけっこう結び易いものだろうと思われますし実際そうです。

茶道とは人を思いやる「道」であります。常日頃から人を思いやらない人はいませんからこれは皆人にとって当たり前のことです。ただ茶道ではそれが「道」となります。どの場においても人を慮ることができる人こそが本当に茶道に向いている人であり茶道を究めることができます。しかしそれができなくとも茶道ではすべてが「慮り」の道であり「品」を鍛える好き機なのです。

若すぎた私はようやく今になってこのことを知りこれまでの茶の道のりのことを有り難いと思うことができるようになりました。




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(お菓子にも品。洋菓子屋BJの品川駅でのみ売られている洋菓子は「品」の字を象った「品川ロール」。)


ここまで「品」について茶道を例にお恥ずかしながら考えをつらつらと書いてきました。

私が思うに我々の「品」の考え方というのは海の外とはちょっと違うものなのではと思います。「品」は「品格」と読み替えると英語ではgraceやdecencyになるそうです。しかしみなさんご存知でしょうが日本語と英語はきれいに替えられうるものではありません。graceはラテン語を起こりとした借り物の言葉でありまして特に「優雅さ」を表しながらも「品位」や「好意」そして「慈悲」などとても幅広い意を持ちます。decencyは「品」というよりも「上品さ」または「体面」を表しますし転じて「礼儀作法」の意もあります。

こうした英語に比べるとむしろ「品」とは先ほどの成り立ちで「品」の字には「上の品」と「下の品」があるのを見たように「物事の優れ劣り」を表すものとしての顔が強いのです。それは「上品」「下品」という言葉にも表れているでしょう。ですから私は「品」という言葉は我々のみが持っているのではないかと思われるのです。


私もまだまだ慮りの道の半ばの身であります。是が非でも茶道の上品を目指して励んでいきたいと思います。