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(深山吾亦紅 先月、立山室堂にて)


引っ越して半年、私はある「良くない変化」に気づきました。


金沢という町は私にとって何より多くの魅力を備えた場所として立ち現われました。此所を私は何処よりも住む価値のあるべきものとして信じ、実際移住したのです。本当に半年間、私はこの町に満足し続けていました。町並みや庭園、花々が癒しを与えてくれました。しかしもう飽きてしまいました。私の生活に一切の瑞々しいものがありません。私はもはや金沢の町を探索することも無く、同じ道を毎日行き来するばかりであります。


最近私は日々を生きるのに精いっぱいになっています。それは物質的なものというよりは心の葛藤です。私はとても大きな悩みを此所に来て抱えました。私が何かをしようとしても、それはすべて私に対する裏切りになってしまうのです。…この意味がお解りになりますでしょうか。私が陥ったのは「自己嫌悪」と申しても良いかもしれません。茶道が嫌いになったのはたぶんその所為です。私は私が嫌いなのではありません。私の心に映る外部現象、事実がすべて醜いがあまり目を覆いたくなってしまうのです。その代り美しいものには究極的に心惹かれますが。

このような事はしたくてしているのではありません。しかし私の心の姿勢は極度に拒絶的な態度をとりたがります。一方でもう一人の私がすべてを受け入れようと画策し、拒絶的な自分と対決します。この抗争はたいてい拒絶派の勝利に終わります。なぜなら事実の受容というのは心の弱すぎる今の私には重すぎるからであります。私にとって事実、というのは他人が簡単に受け入れるのとは違い、かみ砕いて自分のものにするまでに時間がかかるのです。私は弱い人間であります。


「良くない変化」―それは私の中の情熱の消滅です。私が熱烈に愛していたもの、これがあったからこそ私は今まで記事を書き続けることができました。それは私にとって何よりの燃焼すべき石炭なのです。何かが好き、「数寄」、私には数寄がずっと在りつづけていました。私にとって数寄心とは最大の武器でした。誰も顧みなかったものに美を見出してその喜びを此所で書きだす。そのようなことをずっとしてきました。しかしその数寄は今やありません。激しい私の心の抗争の中でそれらはすべて否定されてしまったのです。金沢に着いた半年前、まだそれはありました。どうも数寄が失われたのは6月ごろではないかと思います。急激に記事の数が減っていますから。今や数寄心は私の中に一塵も残っていないような気がします。どうしたら取り戻せるでしょうか。私という人間はもはや死んだも同然です。


心労が激しいので明日から実家に戻ります。もうしかしたら金沢から帰ったら復活するかもしれません。私の情熱は。ともかく自分を見つめなおさねばなりません。またあの情熱に燃えていた、一年前のように。そろそろヒヨドリがやってきますから、何か霊感を彼らが授けてくれれば良いのですか。私は蘇りたいです。死にたくない。早く「私」を取り戻したいのです。


必ず、前よりも力強くなって。