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今日は久々の根津青山の御邸址詣りでした。

根津美術館では現在 丸山応挙展が催されています。写実をよくし、近世と近代の架け橋を担った徳川藩政後期の絵師、応挙。最近は伊藤若冲が人気なせいか、同時代を生き同じく革新的な作風だった彼にも注目が集まっているのではないでしょうか。



小雨のふりしきる中でしたが、緑の大島紬に紫の竜紋帯といういでたちで出かけてきました。美術館では薄紅にモミジ文様の格好の御婦人がいました。なんだか声をかけようと思ったのですが、いい帯ですね、なんて言っても帯を褒められるなんて存外だろうし、本当は仏様にも似た御顔を称揚したかったので、結局何も言わずに終わりました。他にも着物を召した人はよくおりましたが、あの方と比べたら愚物に見えました。



応挙という絵師は今日見て少し印象が変わりました。写生一辺倒かと思ったら全然そうじゃなくて、若い頃はだいぶ紋切りな絵ばかり描いていたみたいです。写生するにしても実物を描いて、それをそのまま絵にするのではなくて、やはり重要なのは形式なみたいです。身の回りにあるものは確かに自分のものとすることが出来るのですが、構図となると、画壇や絵画史といった大きな潮流から学ばねばならない。だから応挙の斬新と思われるような絵にも、元になった中国か何処かの絵があるらしく、そこから浮かび上がるのは奔放さというよりは研究熱心だった応挙の姿。一方で写生によって得られた力量はあくまで細部において発揮されるにとどまったのではと考えます。



全体的に、私の胸を躍らせる作品はあまりありませんでしたが、応挙のより迫った画風に触れられたのは収穫だったように思います。たぶん応挙にあまり関心が湧かなかったのは、今自分が人間の身体性に興味を抱いているからなのでしょう(而して応挙の絵は動植物ばかりだった)。

とてつもなき、下賤な肉への関心なのです。より性的に掻き立てられる顔立ちであったり、究極的に整った身体に興味を覚えるのです。そしてそれが美の名のもとに具象化されている。確かに卑しい欲望から出発したものが御堂の主人にまでのしあがっている。これぞ昇華の不思議です。私の場合もきっと発端は我が儘な恋なのでしょう。それが純粋な祈りへと姿を変える。肉を介在しない限り、恋は崇高と言っても、まがりなりにも良いことにします。憎むべき肉欲の成就さえなければ。







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あとは庭園の紅葉でした。もう半数はおわりかけ。薄曇りでなんとも冴えない色合いのもみじたちです。告白しますと、私はもみじの紅葉は好きではないのです。私はどうしてもあの見ごろを過ぎたもみじの無残に枯れ往く姿が実に興覚めだと思います。この世の終わりのごとき墨の色。紅葉など、たいしてみるべきものでもないと言ってしまいそうになります。

私は八重桜の紅葉が好きです。知っていますか、八重桜のこのごろの青空に照った七色の葉の風情を。一枚づつがとても見ごたえがあって、平安京のころの和歌の料紙にも似ます。染井吉野ではちょっと色があまりきれいでないので是非八重桜を見つけてください。とはいってももう散っているでしょうが。



今日はまたしても精神を疲弊しました。電車というのは居心地が悪いものです。乗り合わせた多勢を一喝して打倒してやるか、白痴の標本として国々の博物館に送ってやりたいものです。皆一体何を考えているのでしょう。皆まるで自分のことについて向上心がないかのようです。そして彼らのそういう姿こそが私を苦しめます(彼らは皆私と言う人間の写し鏡です、きっと)。ですから来週は温泉で療養してこようと思います。やはりまだ私は病の最中です。