IMG_1717


















秋田には未だ行ったことが無かった。

今まで縁が無かったからだ。

福島には農業体験に行った。宮城では松島を見た。岩手は観桜。山形は肘折。青森は酸ヶ湯に津軽嶽温泉を巡った。たまたまというか、秋田は東北でも最後まで行かない場所となってしまった。

秋田の地名には旅情をそそられる。能代、鹿角、男鹿、角館、大曲、大仙、横手、湯沢、由利本荘。年の半分は白銀とともに過ごすこの地方の人々の気風というか、そういうものを是非掴んでみたいと思っている。秋田の他を圧すべき魅力、個性、それは風土であり、そしてその風土が作り出す人間性であろう。この地にはそういうものが根強く残っているんじゃないかと信じている。ねぶた、金色堂、日本三景、百名山、東北の他県にあるような大看板は秋田には無いけれども、「秋田美人」、「あきたこまち」、「秋田犬」、それだけでも十分対抗できる。其処が秋田の凄いところ。秋田では観光などしなくてもいい。是非人を見たい、風土を見たい、そう願うのである。

そういう想いを秘めながらも秋田に行った。ただ今回行ったのはその玄関口ともいうべき場所であるに過ぎないから、隣の岩手県成分は多めなのだが、田沢湖の乳頭温泉である。乳頭温泉といえば今や世界的観光地である。中心というべき鶴の湯温泉には毎日大型の乗合で多数の客が、海外からの者も含めて押し寄せる。観光案内本には常に表紙に載っているような、日本の温泉地、秘湯分野での顔というべき存在だ。だいぶ私の望むものと違っていることは言うまでもない。ただそういう観光地化した場所でも、観察の眼をこらすと風土というものは次第に明らかになってくるのではないだろうか。

秘湯とはかけ離れた喧騒、と言う点ではこの鶴の湯はだいぶ不本意であった。ただ間違いなく日本では此所しか味わえない体験が出来るという点では唯一無二、最高級の質を備えている稀有な温泉であるし、一度は試してみることを勧めたい場所だ。自分が此所での滞在で何を得たのかまだ今の時点では不明瞭なのであるが、一応旅の記録にと書いておこうと思う。



IMG_1630
















東北新幹線。前の5両は盛岡で切り離しとなる。此所からは殆ど特急列車と変わらない、速度感の無い運行だ。というのも秋田新幹線は在来線の線路を用いているからであって、あまり意味の無い気もするが、風情の無い隧道ばかりの新路線を作られるよりはこちらの方が良いとは思う。巨大で秀麗な岩手山を車窓にのぞみながら雫石駅を過ぎる。すると県境の峠越えになり、好天だったのが一気に白銀舞う極寒の世界へと変貌する。秋田新幹線はよく止まることで知られるが、実際に乗って路線を確認すると、そうなるのもうなずけた。峠を少し下るともう田沢湖の駅となる。外は湿った雪である。温泉客たちも多数降りてきて、私と同じ場所で乗合を待った。







IMG_1632


















乗合は田沢湖を経由して秋田駒ヶ岳山麓の雪深い山地へと入っていく。目的地である鶴の湯は乳頭温泉郷の中でも独り外れた場所に位置しているので、一端温泉郷の手前で降りて、宿から来る送迎を待つことになる。









IMG_1635
















鶴の湯への道は悪路だ。沢を伝って道が続いているので曲がりくねっていて、それに雪の量も尋常ではない。3mは積もっているであろう雪の壁に囲まれた道を15分ほど進むと鶴の湯は見えてくる。





IMG_1647
















到着したときは雪が容赦なく降っていた。まるで3月の終わりとは思えない。忽然と現れた黒澤映画の撮影現場のような建築群にはさすがに感動を覚える。





IMG_1643
















受付は込み合っていて案内まで待たされる。そうしている間にこの雪の中をたくさんの日帰り観光客が歩いてくる。




IMG_1652
















通された部屋からは佐竹の殿様が昔滞在したという本陣が間近に見られる。部屋は四畳半、値段の割には大分粗末で、久々にこんな狭い場所で過ごすことになった。


IMG_1665
















温泉場は川を挟んで宿泊場の向かい側にある。いちいち出ないといけないのが面倒であるが、やはり雪景色の中だと道中にも風情がある。





IMG_1674



















IMG_1666
















さっそく名物の自噴露天風呂に入ろうとしたが日帰り客でふさがっていたので室内風呂のほうに行った。此所には白湯と黒湯の二つの種類の湯がある。両方ともかなり硫黄分高めだ。近くの駒ヶ岳からの恵みだ。

まず温泉の質が素晴らしい。白湯のほうは45度もありとにかく熱いが、硫黄成分の濃縮された、源泉そのままの味わいのある湯だ。かなり癖があるので、同じ硫黄泉でも加水されて管理の行き届いた群馬の万座温泉のほうが上品で良いかもしれない。だがこれほどの凝縮された火山の恵みを味わえるというのは此所ならでは。

臭いも硫黄が強烈である。木の焼け焦げたような臭いが充満している。如何に力のある湯であるかを証明しているようなものだ。酸ヶ湯もこれと比べるとまだ上品なくらいだ。






IMG_1657
















30分ほど室内風呂で過ごしてから露天風呂に行く。

沢山入っていた日帰り観光客たちはもう引き上げてしまって誰もいない。




IMG_1659
















絵に描いたがごとき秘湯の趣、これは鶴の湯に行かないと味わえない。

此所の露天風呂は想像をはるかに超える逸物だ。こんな広い湯場にたっぷりの乳白色の湯が沸いている。酸ヶ湯や草津もすばらしい濁り湯があるけれども、この個性は比べ物にならない。

鶴の湯に来るなら絶対に冬が良い。間違いのないことだ。夏に来ては芒が繁茂していて魅力というか緊張感が減退してしまうから。湿った雪を頭や肩にかぶりながら湯に体をうずめる、これが良いのである。





IMG_1680
















宿泊所の一階玄関には秘湯を守る会会員宿の印となるこの提灯が。まあ正直鶴の湯は立地的には秘湯なのだが、あまりにも有名になりすぎてしまったゆえ秘湯感は薄れてしまっている。客層を見ても、明らかに他の秘湯と違い若い宿泊者は多い。




IMG_1686




















IMG_1689
















夜の温泉場は人がいない。皆一日二回ぐらいは入れば足りてしまう。結構強烈な、濃い湯であるから。夜の風情はさらに素晴らしい。降っていた雪はやんで、湯けむりの合間から、満天の星々が見られる。都会のくすんだ空とは次元の違う夜の空。ほとんど隙間の無いくらいに恒星たちは何億光年も前の輝きをたった今この地上に届けるのだ。




IMG_1690
















露天風呂更衣室の隣には中の湯という卵色をした湯がある。裸はとにかく寒いので露天に行く前に此所で体を温めて、という感じか。之も本当に良い湯、とにかく濃い。之一つだけで一つの温泉場の顔となりそうな湯が脇役になっているのがもったいないのである。




IMG_1708
















二日目は三回ほど入った。この日は寒さが足りなかったのか、雪はほとんどみぞれていた。

温泉がかなりきつい所為で午前は眠る。午後は1時、4時、そして9時と露天の方に行った。周囲には乳頭温泉郷のほかの温泉場があるのだが、いかんせん遠すぎていく気も起きないし、泉質は鶴の湯がやはり濁っていて一番強いので、別に外出する必要はなかった。



IMG_1693



















IMG_1696
















露天風呂は良く見ると水泡が浮き出ている。無論自噴しているのである。奥に行けばいくほど水泡が多い。自噴泉はとにかく貴重で、他には群馬の法師温泉しか知らない。

湯の底は砂利が敷き詰めてあり、それを取り除くと岩盤か砂利が見えてくるのだが、たまに其処から湯が沸いていて、とてつもない高温だったりする。足がやけどしないよう注意が必要だ。



IMG_1754


















IMG_1765
















露天風呂は場所にもよるが、手前のほうは大変に温く、40度も行っていない。自噴している場所の近くだと42、3度はあるだろうか。それにしてもかなり長い間入っていることが出来る。





IMG_1768
















温泉場の風景。此所を歩いていると、なぜか黒澤映画『用心棒』の主人公 桑畑三十郎の気分になれる。




IMG_1776
















最終日は晴れ。結局温泉に入るだけで、何の哲学も構築しなかった。何も勉強しなかった。極めて怠惰な三日を此所で過ごした。手はカサカサになり、毛穴には無数の見えない硫黄が付着し、肌はすべすべになった。

正直これほどの観光地だとは思わなかったので、あまりまた行きたいとは思わないが、なんにせよ、唯一無二の個性を備えた宿であり、最高級の温泉を提供していることは間違いない。それが良く分かったのだ。




IMG_1777


















IMG_1784
















帰りはもう雪荒れではない。八幡平や岩手山の山並みがぼんやりと車窓に浮かび上がっている。

結局私は秋田を微塵も知らず帰ってきた。そして家のほうが楽だ。けども温泉場には足を運んでしまう。こんなにも疲れるし、浪費するし、孤独なのに。これからもこの物好きは同じことを何度も繰り返すだろう。それだけの魅力を備えた温泉場がまだいくつも私の訪問を待っているのだ。