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三田の春日神社には大きな桜の木が咲き、私も幸せな面持ちになります。



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さて、今日はお茶の点て方について私の考えるところを申し上げます。

今日もいつも通り家元や山下恵光先生の勧められたように独服をしました。友だちと飲んできたので、お茶は特に酔いを覚ましてくれます。鎌倉三代将軍・実朝は二日酔いになったとき、臨済宗祖・栄西に喫茶を勧められたという逸話も残っていますから、それは効きます(笑)

上は私がさっき点てたお茶で、茶碗は母が買ってきてくれた清玩作・萩茶碗です。

私は自分の泡の立て方がいつも気に入っておりません。できるだけ大きな泡を作らず、ムラを出さないようにしたいと思って点てますが、なかなかうまくいきません。

楽茶碗は底の傾斜が緩やかなので、大変点て易く、逆に筒茶碗は底が平べったく、井戸茶碗は鋭い傾斜を持っているがために点てにくく感じます。

お茶を点てる際には、ダマを作らず点て残しの抹茶がつかないようにしつつ、客から見ればごく自然に点てているように見せなければなりませんが、多くの人たちは、お茶に心を込めることを忘れています。

無心で茶筅を振るう、ただお客様がおいしい茶を飲めることが肝要である。双方矛盾していますが、私はなるべくこういう心づもりでお茶を点てています。

茶道とは、思えばお茶を差し上げ、飲むことにすべては集約されます。だからこそ家元の言うが如く、お茶を点てて、飲むことを怠ってはならないのでしょう。

裏千家は泡を点てるが、表千家は点てない、よく世間に流布していることですが、表千家は村田珠光のように月の欠けたるがごとき泡の「なり」を好むのでしょう。それぞ侘茶の点て方のように思えます。

こうして毎日独服できることが近頃大変ありがたく感じます。ありがとうございます。