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(三田の紅葉、2013年12月4日)


全てが過ぎ去った後も、思い出は海潮音の如く引いては押し寄せてきます。


私は今日もある過去との対峙をしながら散策をしていました。もはや私は退学したにもかかわらず今日もなおクローディアスに殺された先の王ハムレット亡霊の王宮に現れるが如く大学の構内を彷徨っていました。生協であるたくらみの為の準備に目的の本を探そうかと思ったのですが、今日はお休みでした。というのも大学は学園祭が為に休校だったのです。これが京大だったら金をもらっておいて授業を勝手に休みにするなと左翼ぶった学生連が怒ったりするのでしょうが、私のいた大学は休み多ければなお良しというまるで怠惰で向学心にかける風潮でありました。そんな風に今は自分の大学を客観視してみたりもします。


学園祭。これはまた実に破廉恥な行事でありまして、女にしか興味の無い女みたいな学生がポン引きになってうぶだけど淫欲の強い女子高生を誘惑して、その両者の思惑の一致するところで一夜の過ちが至る所で生じるのであります。この大学の男たちの実に外面は良さそうなのにその実一流という看板の裏には何一つ人生の温かみを語りうる経験が欠けているのです。そういう男たちを私は嫌いましたが、結局独りでいることによりその影響力を避けようとしたけれども私もまた同類でした。私は今、無為の徒となって日々を何か信じられるものの為に放浪しているのでありますが、私と同世代の男たちは屹度、能と学と面を備えた集団の下でこの巨大な社会の機械の一部になっていることでしょう。学園祭、などと聴いて、私と彼ら、まるで交わらずただ同じ大樹の下から巣立っていっただけの人間の今立っている場所の違いを想わざるを得ません。大学の名が象徴せるが如くにちゃらちゃらしていながら世渡りだけは上手かった彼ら。不器用すぎて転落し続けてきて、もはやだれも通わぬ道に価値を見出しつつある私。大学というのは本当にいろんな連中を十把一絡げにしてくれますが、今は誰もかも箍(たが)が外れて好き勝手やっているのです。


立派な人間、立派な知り合いも多くはおりました。ですが私には肯定できません。私は未だ迷っているのですから。それにしても個性無き人間が寄り集まる中で、明らかに輝ける原石であったのは内部進学の連中でした。大学というのは上からの命令的な教育は一切施さなくて、自身で進んで掴み取りたいものを得るべしという風潮ですのでなかなか校風というか学生における統一した雰囲気を見出しがたいのですが、内部進学生はその点急流の中に立てる尖り岩の如く誰にも流されえぬ個性を持っていました。ぼんぼんの子息であり、超一流の自由主義的教育を受けた彼らは、日吉の辺で顔立ちを見るにつけ端正で確固たる意志にあふれております。中には留年する者もおりますが皆間違いなく一芸以上に秀でて、社会の有用な人物、統率者となるほど立派な人間たちです。そのような基盤を中高を通して培うことの出来なかった私は自己形成の時期が大学後期~退学後にまで病気や障害のせいもあって遅れてしまいました。しかしながら、恥ずかしながらも今頃になってようやく彼らと同じ地点くらいには立てたかと思うのです。それが思い上がりでないことをこれから行動で示さねばなりません。ですから彼らの詰襟姿を見ていると、私のそういう想いもあって背筋正したくなるのです。


私という人間は大学という一種の職業、勉学を奉ずる者としてはまるで無能でした。というのも、今更知ったのですが、私は元々の生まれから言語的能力よりも直観や五感のほうに神経が秀でており、そちらの方を主体として戦っていける場所こそ仕事場にすべきだったのです。自分で自分のことをよく分っていなかったというか。今まで自分に嘘をつき続けてきたのですね。学問こそ自分の天職であると。しかしながら精神的成長の遅滞は明らかであり、社交性にとりわけ秀でていもしない私が実に事務的で緻密で、眼で紙に穴を穿つような作業を続けるのは、あまりに拷問のような苦痛でした。ですから殆ど落伍者として中身の無い論文を提出し続け、ひたすら心地よい、自らの心象風景に合致するような画を求めて旅ばかりしていました。そこを教授に咎められ憤慨させられた私は大学を退去し、病人を装って親にかくまってもらい、もう2年になります。長い隧道を歩いてきた私にもようやく光が差して力強い意志が戻ってきたものですから、これからは自身の義務の為に行動を起こす気でいます。今また遠大な計画を立てていて、近くお伝えすることが出来ると思いますが、それの完遂を私の使命とするつもりであります。


ようやく新たな出発点が見出されつつあるのですが、再び道を歩む前に遣りたいと思っていることがあるのです。それは自分史の作成です。作成とはいっても言語能力の秀でない私の場合は口述筆記に毛の生えた程度しか出来ませぬが、要するに、「後の想い」、今という地点から過ぎ去ってしまった自分の歴史を再構築するのです。之には一つの歴史観、自分史を貫く、未来への願いが必要不可欠となります。歴史というものは見方によって万華鏡のように輝きを変じます。観察者たる私は一体どのような自分を目指すのか、それによって一本の筋の通った歴史が見えるのか。私は勇気をもって、なるべき自分をあきらかにするために自分を語らねばなりません。自虐、偏り、主観、無知、嫉妬による他者口撃、まだ青い故そういうものは多分にあるでしょうが、今私が最も切にやりたいと願っています。後の想い、新たな自分を作り上げるためにも過去は再び語られることを望んでいます。ひとまず私は明日より京都へと三日間行って来ます故、帰ってからは第一にその感慨を述べ、それから頼山陽の『日本外史』ならぬ、『自分正史』を編んでいこうかと。