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美しいものに心を打たせてみようと散歩に出ることがあります。

全くもって私は無計画なのですが、思いがけず自分に変容を与えてくれるような出会いがあったりします。

無論、こちらのほうで感性を研ぎ澄ませたり、経験や勉強を積まないと感じ取れないことは多いのですが。

ですから私は毎日の散歩にも時間とお金をかけてみようという気でいます。



一月の真冬には似つかわしくない大雨が夜間に降り続いた次の日、私は世田谷に散歩に出かけました。

工事中の馬事公苑がどうなっているのかを見たいのと、豪徳寺を参拝したかったがためです。

目的はあったものの、特に道を定めない、道に迷いながらの散歩でした。

中学校の頃弦巻のN高校を進路にしていたので何度か訪れましたし、高校の時には何も知らされずに馬事公苑の辺を級友に連れまわされたりしましたので、そういう記憶がよみがえってくるのかと思いました。

しかしながら、今回私の心の琴線を世田谷の情景がある点において私を捉えました。

それは先ほど申した無計画な散歩の産物としての美の出会いでした。

用賀や弦巻、桜、宮の坂、豪徳寺といった私の歩いた地区は閑静な住宅街として知られていますが、実は緑が美しいのです。

財ある人々の余裕とでも言うのか、彼らには緑を愛でる心と、緑を残しておく敷地があるのです。

伸ばしっぱなしにはせずに、定期的にどの家も庭師を入れているので、枝振りは大変に美しく、これがまた世田谷の高級感ある印象を作るのに大きく役立っているのです。

敷地内から顔を出す二階建てほどの背丈はある古木や、見事に刈り込まれた自邸を囲う巨大な生垣、四つ角に色を添える紅白の花、ありふれているようで実は世田谷だからこそ見られる木々の美しい世界がありました。

写真にはあまり出来の良いものが無かったのですが、私の書いたことの裏付けになりますでしょうか、どうぞ採れたての翠をご覧ください。


最初の写真は用賀から駒沢高校方面へと歩く中で見つけた、元々用賀名主の屋敷であったというお家です。百坪ほどはありそうな敷地は大変背の伸びた生垣に囲われており、異次元の雰囲気がありました。本当に、この場所だけ時代を超越していますね。




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用賀~弦巻付近の典型的な昭和後期の豪邸です。一見冷たそうな現代建築の産物に見えるのですが、敷地内に植えられた庭木が塀から顔を出しており、印象が柔和になっています。松・金木犀・ざくろ・つつじなどの木々はきっと今日の繁茂を見据えて建築当時に植えられたのでしょう。人と木が現代においても美しい調和を見せている一例のようにすら感じられます。





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弦巻の馬事公苑南の緩やかな坂の付近です。

ぽっかり空いた空を映し出す馬事公苑の「何もない」感じというのは都内においてきわめて印象的なのですが、現在は改装中でありまして、まるで高層ビルの工事現場のようにまっ平にされています。この馬事公苑もまた広大な敷地を覆う大変な総延長の生垣があります。木々の背の高さはそのまま歴史の重みとなっているわけでありますが、改装された後のぴかぴかの馬事公苑にあってはきっとこの生垣が生き証人となってくれることでしょう。






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整然とした区分けの桜三丁目。その四つ角には不自然な形で道路をふさぐケヤキの木があります。

この場所には想像するに古いお屋敷があってそこの庭木だったのでしょう。それが区画整理で立ち退かなければならなくなった際に、家主の願いによって伐採されずに残ったのではと思います。ケヤキとは思えぬほどの幹の太さがあり、樹齢百年ほどはあるのではないでしょうか。高さの制限があって上の方が切られていますが、もし手継がずにしていたら20mほどにはなっていたはずです。







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静かな小路の家脇のおちょぼ椿。

椿の心を示す薄紅の色が愛嬌たっぷりで癒しをもらえます。静かな世田谷の景観もあってか、一層高貴な風情をまとっていました。



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桜町中学校の丘陵から烏山川の暗渠緑道へと降りていくところで見つけたのが今が盛り、冬桜です。

樹齢は幼いものの、樹勢は旺盛であり、十年後にはもっと立派になって景観に溶け込んでいることでしょう。それにしてもこのような花の少ない時期に冬桜を見つけると、小さな春を手にした気分がして嬉しいものです。



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宮の坂、世田谷八幡宮の楠です。

楠のいるところには人が生活している証であり、神社には楠の古木が全国中にあります。南方の温かい空気を保持し続けるこの常葉樹はとりわけ朗らかで、優しい印象を見る人に与えてくれます。世田谷八幡はそこまで広くない神社ですが、緑がしっかり保存されていて、訪れる人の心に癒しを与えてくれます。八幡心を深く信仰する源氏が平安末期に勧請した神社であり、社叢にも大変な歴史がありそうです。




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豪徳寺の山門前には印象的な松林が連なります。

松というものは横にも縦にも自在なものですし、しかも幾重にも屈折しうるという、ある種日本人の性質そのものを体現した木であると言えます。盆栽に松原、等伯の松林図など、松の形は本当に多種多様です。こうして伸び伸びと育った豪徳寺の松は一度たりとも曲がった痕跡がありません。こういった直立する松を見る機会ってそうは無いと思います。






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豪徳寺西の広大な墓地群。澄み渡った空に寂しげな枝を広げるケヤキの木があります。

churchyardと申したくなるような、西欧的な風情があったので写真に収めました。私は墓地というものが好きで、それもなるべく死臭を除いたような、それでいてある程度苔むしたような場所が良いのです。生者にも死者にも邪魔されずに思索に耽れる瞬間があるからなのです。





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貴重な近世大名家の墓所である井伊家の墓所です。

年輪を経た墓地にしては無機質で整然とした印象を受けるので、私にとっては何度もお詣りしたくなります。茶の心を一期一会にまとめた大茶人・井伊直弼の墓所も最奥部にあるので私としては手を合わせなければなりません。




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豪徳寺の住宅街、暖かな冬をひそかに愉しむ水仙の群れがあります。

世田谷の花木は、どれもホームセンターや園芸店で安くで買い求めたような洋花ではなくて、思入れと歴史を感じるものばかりであるのが本当に好印象を受けます。この水仙も小さな花壇に目いっぱい花をつけていて、これを植えた家主さんと花との関わりとが自然とひも解かれて行くかのようです。




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小路の四つ角、小柄な紅の椿が多くの花をつけます。

椿も薮椿だと相当背を伸ばしますが、これは比較的背丈の無い園芸種であり、果断にきれいに収まっていました。ちょうどこれからが椿の最盛期であります。







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最後に小田急線沿線の和風住宅から。

切妻の門と土蔵が大変印象的なのですが、見事さで言えばこちらの生垣も負けてはいません。金木犀や椿、さざんかに高野槇などが分厚い緑の壁を作っております。こういう光景を見ていると、如何に庭木というものが、主屋よりもはるかに家の風格を示すものなのだということが思い知らされます。その点では世田谷の花木というのは何処よりも気高い、主人の身分を証明する代理人なのだということが、はっきりと言えるのではないでしょうか。

是非この住宅街逍遥、また近々やってみて新たな美をお伝えしたいと思います。






是非聴きながら、どうぞ。

ドビュッシーのベルガマスク組曲。「月の光」のある彼の代表作ですが、何時聴いても美しいイメイジを喚起してくれるので好きです(最も好きのは「子供の領分」)。たいていドビュッシーの演奏というと情感たっぷりに緩急の激しいものですが、その点では、こちらの拾ってきた古典・ギーゼキングの演奏は振り子のように性格無慈悲なものがあります。月並みな演奏ばかりで疲れ切った後などに彼のドビュッシーを聴くと、不思議と60年前の演奏が若葉の如く瑞々しくよみがえってきます。