IMG_1930

























江戸時代初期に野々村仁清という陶工がおりました。

金森宗和という茶人とタッグを組んで「きれいさび」の茶道具を造り、後に御室焼において華美なる京焼を創造した巨匠として知られています。

現在彼の作品は国宝が色絵雉香炉(石川県立美術館蔵)と色絵藤花図茶壺(MOA美術館蔵)の二件、重要文化財が二十件と、大変芸術的に高い評価を受けています。これは長次郎(千利休のために多くの楽焼を造り茶道の美意識に決定的な影響を与えた)や本阿弥光悦(円や角を強調した斬新な茶碗を生み出した)、尾形乾山(自由闊達で洗練された絵付けの皿や向付けでもって今でも多くのファンを持つ)などの名だたる陶工と比してもずば抜けて多いのです。

それでも仁清の作品は現代においてはプッシュされることが無いように思われます。2019年冬にMOA美術館で行われた仁清を特集した極めて稀な展覧会は大変な盛況でありました。しかしながら同じ京焼の乾山が毎年のように何処かでオンリーの展覧会が開かれるのと比すると、もうちょっと頻繁に仁清に注目してほしいなと思いますし、告知も大々的なものではありませんでした。ですから仁清が人目に触れる機会が少ない、芸術家としてスポットライトが当てられにくいというのは、とっても勿体ないのです。

何故仁清にはフリークが少ないのか。これは一つ考えねばならない問題です。

一つの要因として、京焼があまりに有名になりすぎたことが挙げられます。仁清の作品は華やかな色絵と上品な釉薬が基礎となっています。これは今の如何にもお茶碗らしい、花や文様の描かれた京焼にも共通していますが、実際のところ、多くの人が仁清作品に既視感を覚える遠因にもなっています。仁清が確立した日本風の焼き物はあまりにデザインとして秀逸でありました。故に今では桜や梅、藤に牡丹、薄に青海波、七宝と言った文様が茶道具にあふれてしまったのです。もちろん、仁清の焼き物はそんな単純なものではありません。一つ一つが彼の天賦の才に満ちており、驚くほどに創意に富んでいます。であるからこそ、その意匠は創造性の衰えた大量模造品という形でもって引き継がれてしまい、結果として「仁清はつまらない」という誤解を生むことになったのです。

美意識の問題もあるでしょう。「利休に帰れ」という言葉が叫ばれ、利休の道統である三千家が支配的な現代においては、仁清の茶道具は邪道とみなされます。それか、芸術性の希薄な初心者向けとして。素朴なる楽焼や瀬戸焼が真に良きお茶道具と考えられるのが当たり前の世の中において、どうしても金や銀、青、赤、緑を強調してくる仁清作品は隅に置かれてしまいがちなのです。茶道の歴史における流行り廃れにおいて、長次郎・乾山・光悦は浮き上がる一方で仁清は沈んでしまったということなのでしょう。

ですから仁清作品は現在悲しむべきことに人々に欲されていないのです。どうにか仁清の茶陶としての立ち位置が向上してくれないかと祈っている私も、未だ彼の遺した偉業の全貌を知り尽くしているわけではありませんが、是非学習しこの場で発表してみようと企んでいます。仁清がマイブームになってくれる方がいればとても嬉しいことであります。